作詞作曲

歌手になりたいのに曲が作れない作曲未経験の僕がヤマハのソングコンテストで銀賞を受賞できるまでの話

これからお伝えするのは、僕が音楽活動を始めて約1年半他者から認めてもらえる曲を作れるようになるまでの経験談です。

 

僕の作詞作曲の才能ほぼ皆無でした。

 

というのも、受賞した曲ができるまでの過程で作ってきた楽曲は、どれも詞曲ともに酷評を受けていたからです。

 

歌手を目指してこれから作曲に挑戦しようという方の参考になるよう赤裸々に書いたので、ぜひ最後まで読んでみてください!

 

 

“歌手になりたい!”

 

初めてそう思ったのは、僕が18歳の時でした。

 

とりわけ音楽の経歴があるわけではなく、カラオケでよく「歌上手いね!」と褒めれていたので、“歌手になれるんじゃね?”と勘違いしたタイプの人間です。

 

その勘違いとは裏腹に、人気の歌手はみんな自分と同じ年齢くらいでデビューしていて、

 

今から歌手を目指すのは遅いんじゃないか?
一刻も早くメジャーデビューしなきゃ!

 

そんな焦りを感じていました。
(当時はメジャーデビューがひとつの目安の時代でした。)

 

ギターを始めようとしてみたり、歌詞(のようなもの)を書いてみたりもしましたが、ギターはひとつのコードも弾けることなく挫折

 

歌詞は作曲ができる知り合いに
「こんなの歌詞じゃない」
と言われる始末でした。

 

 

“あぁ、僕には歌以外の才能はないんだな…。”

 

 

かなり自信を無くしました。

 

作詞作曲はあきらめて、“歌で勝負するんだ”と心に決めた瞬間でもありました。

 

『本気で歌手になるにはどうしたらいいか』足りない頭なりに考えた結果、音楽の学校に通わなければいけないという結論に辿り着きました。

 

音楽の学校にいけば、音楽活動をスタートする年齢の遅れも取り返せるかもしれない。

もしかしたらあきらめたギターや作詞作曲もできるようなるかもしれない。

 

そんな希望を持ちつつ、親を説得し音楽の専門学校への進学を決めました。

 

 

しかし、いざ入学して作詞作曲の授業で教えられたことは、一言で表すと『とにかく作ってみよう』ということでした。

 

作ったものに対して添削を繰り返すことで、作詞作曲の力がどんどんついていく。ということだったのです。

 

“そのとにかく作ってみることができなかったんだよな…。”

 

挫折経験のある僕にとっては難しい教えでした。

 

それでもなんとかしがみついて、音楽理論DTMなど他の授業で学んだことも活かしながら試行錯綜しました。

 

そして初めてのオリジナル曲が作れたのは入学して4ヶ月後、最初に迎えた夏休みのことでした。

 

その4ヶ月の間にギターにも再挑戦していて、なんとか弾けるようになった5〜6個のコードだけを使っての作曲。

 

弾けると言っても、『鳴らせる』という表現の方がふさわしいくらいつたないギターの腕前でした。

 

精一杯、やっとの思いで作った初めての曲だったので、作詞作曲の先生に聴いてもらうのがとても楽しみでした。

 

そしてついに夏休みが明けて、先生に聴いてもらう時がきました。

 

歌い終えて、どう褒めてもらえるだろうとワクワクしていたのも束の間

 

一切褒められることはなく、どれだけ未熟であるのかということを告げる指摘のオンパレード…。

 

ズタボロに言われたという記憶しか残っておらず、正直何を言われたか詳しい内容は覚えていません。

 

“やっぱり自分には才能がないんだ…。”

 

年甲斐もなくその場で泣き出してしまいました。

 

それまで人前で泣くことはあまりなかったので、涙を流しながらも「大丈夫です」なんて言って強がっていました。

 

ちなみにこれが僕が初めて作った曲の歌詞カードです。

 

 

DTMの先生にも聴いてもらい、最初こそ「いいじゃん」と言ってくれはしましたが、「サビがおかしい」という指摘をされました。

 

当時は全然理解できていませんでしたが、サビのキーが合っていなく転調しているということだったようです。

 

善かれと思ってのことでしょうが、「ツバサの曲を直してあげて」と作曲経験のある同級生に委ねられた時は、とても悔しい思いをしました。

 

その同級生が「こいつには絶対に負けたくない」と入学当初からライバル意識を抱いていたユウキくん(仮称)だったからです。

 

ユウキくんはギターの弾き語りでライブをして作詞作曲もこなし、東北の大会でグランプリを受賞した経歴を持つ人物でした。

 

歌詞カードの最初のサビのところまでにある斜線が、ユウキくんが修正してくれたコードの箇所です。

 

“こんなに変えられてしまうならもう自分の曲じゃない”

 

初めて作った曲なのに愛着もなくなってしまいました。

 

その後もいくつか作詞を重ねましたが、真面目に書いたつもりの詞に先生からは

 

これはネタで作ってるの?

 

と言われてしまったりと、てんでだめでした。

 

次に曲を作れたのは冬に差し掛かった頃で、1曲目ができてから約4ヶ月後のことでした。

 

ユウキくんから「同じテーマで曲を作って校内ライブで発表しようよ」と誘ってもらったことがきっかけでようやく作れた曲です。

 

そしてお互い作った曲を披露しました。

 

 

ユウキくんは「お前の勝ちだよ」なんて言ってくれましたが、“どうせお世辞だろ”と素直には喜べませんでした。

 

お世辞だというのが確信に変わったのは、進級製作楽曲のブラッシュアップをしてもらった時のことです。

 

担当してもらったギターの先生に

 

もっと世の中の曲を聴いた方がいいよ

 

と言われてしまったのです。

 

僕が作った曲の構成(Aメロ→Bメロ→サビなどのこと)が、一般的なポップス曲では見ない流れになっているということでした。

 

2つ目の曲ができたことで、“少しは成長できたかな?”と思っていたのですが、まったくの気のせいだと思い知らされました。

 

ちなみに余談ですがその先生は今や、某バンドアニメ有名歌手編曲を手掛けているような方です。

 

僕は作曲の能力がまるで成長してない

 

才能の無さを再認識することになった出来事でした。

 

そのあとにも、当時付き合っていた彼女への誕生日プレゼントに曲を贈ろうと2日前に思い立って作った曲。

 

ライブで新曲をやると豪語していたがために作った、ほぼやっつけで作った曲。

 

2曲作りましたが、曲のクオリティは言うまでもなく駄作と言わざるを得ないようなものでした。

 

これで音楽活動をスタートして1年目が終了。作った曲は4曲でした。

 

そしてなんの成長もないまま春を迎え、後輩となる新入生が入学してきました。

 

後輩には高校生バンドの大会で最優秀賞を受賞した実績のあるモモちゃん(仮称)という子がいました。

 

その実績をユウキくんも知っているほどで、音楽歴実力すでに後輩に負けている状況なのです。

 

そして入学してから数日が経ったある日、初めてモモちゃんのピアノの弾き語りを聴く機会が訪れました。

 

“モモちゃんと一緒に音楽活動をしたい”

 

なぜかそう思った僕は、分不相応にもデュオを組んで欲しいと持ちかけていました。

 

最初は断られましたが、何度か誘い続けた結果承諾を得ることができ、6月の末にピアノとギターのアコースティックデュオを結成しました。

 

 

これを機にデュオで演奏する曲作りが始まります。

 

作詞も作曲も僕よりもモモちゃんの方が経験豊富なこともあって、デュオの初めての曲は7:3くらいの割合でモモちゃん頼りで曲を作りました。

 

その後に作った曲も、僕が書いた詞モモちゃんがメロディを考えてくれ、9割方モモちゃんが作曲しました。

 

デュオで活動している時はファンも出来たり、とあるイベントで推薦アーティストとして紹介してもらえたりして、僕はデュオ結成に手応えを感じていました。

 

おんぶに抱っこ状態にも関わらず…。

 

今思えば、デュオ結成は作曲からの逃げだったのかもしれません。

 

それに気づかせてくれたのは、作詞作曲の先生でした。

 

ヤマハのソングコンテストにデュオで出場するつもりでいた僕らに、

ふたりともソロで参加してみたらどうだ

と助言をしてくれたのです。

 

各々のスキルを高めるためにもソロで出場するべきじゃないか。

ソロで結果を出せないからデュオで活動するのと、
ソロでも結果を出せるけどあえてデュオで活動するのでは全然意味が違う

 

そう言われて、確かに僕はモモちゃんに頼り過ぎていると思ったのです。

 

これを機に久しぶりにひとりでの曲作りにも挑戦しました。

 

しかし不思議と伝えたい言葉とメロディが浮かんできて、一気に書き上げることができたのです。

 

これまでに作ってきた曲に対する作詞作曲の先生からの指摘アドバイス

ユウキくんから誘ってもらって作った曲のテーマの考え方

モモちゃんと共作した曲の作り方

 

すべてが自分の中に『ストン!』と入ってきたような感覚でした。

 

そして、これまでに自力で作った6曲の中で1番自信がありました

 

その曲をヤマハのソングコンテストで演奏することにしたのです。

 

結果は最初にお伝えした通り銀賞を獲得

 

 

しかも、過去に受賞歴のあるユウキくんを凌いで受賞することができたのです。

 

ライバル視していたユウキくんに初めて勝てたと思えた瞬間でした。

 

この曲を聴いていた他の友人からも「初めてツバサに負けたと思った。」と称賛の言葉をもらうことができました。

 

実はもうひとつ嬉しくも悔しいことがあり、金賞を受賞したのは相方であるモモちゃんだったのです。

 

僕ではモモちゃんには敵いませんでしたが、デュオでダブル受賞という結果に

“これまでやってきたことは無駄ではなかったんだ”

と初めて思えた瞬間でもありました。

 

あきらめずに何度も作曲に挑戦してよかったと心から思います。

 

そして今となっては、これまでの作詞作曲に関するノウハウをブログオリジナル教材などで情報発信しています。

 

僕と同じ悩みでつまずかないように…。

つまずいてもすぐに脱却できるように…。

 

これから歌手を目指す人の支えになりたいと思い活動しています。

 

僕の今の音楽活動のミッションは、誰もが音楽を楽しめるような環境を用意することです。

 

情報発信はその一環としての活動でもあります。

 

音楽を仕事にして生きていきたいと思って音楽活動を始めてから、お金を得ることよりも払うことの方が圧倒的に多い現実がありました。

 

この矛盾した状況から抜け出せないうちに、音楽活動自体が楽しくなくなってしまい、音楽から遠のいてしまう人も多くいるだろうと思います。

 

まさに僕がそうでした。

 

実は今回の話には後日談があり、僕は専門学校を卒業した後にもう1校、養成所にも通うことにしたのです。

 

それは音楽活動に行き詰まり事務所に所属するため藁にもすがる思いで選んだ道でした。

 

しかも借金までして。

 

2校で合計4年間、総額で約480万円ほどを音楽に費やしてきました。

 

それでも音楽活動の先が見えず、気がついたら音楽を楽しむことができなくなってしまっていました。

 

だからこそ今でも、楽しそうに音楽を奏でる人強く惹かれます。

 

もしも過去に戻って、専門学校に入学する前からやり直せるとしたら、僕は同じ金額レッスン教材などに投資します。

 

人との出会いこそ価値ではありましたが、音楽のノウハウスキルに関しては専門学校に通っていなくても僕より卓越している人何人も出会ってきたからです。

 

要は音楽に対してどれだけ情熱熱意があるか次第だと思うのです。

 

本当に音楽が好きなら、作詞作曲ライブにもどんどん挑戦し、足りないことを補うため音楽理論を学んだり、夢中で走り続けると思います。

 

そんな音楽好きな人にこそ、僕の経験を踏み台にして越えていって欲しいと思っています。

 

僕が作曲未経験から、自他共に認める曲が作れるようになるまでにぶつかってきたいくつもの壁。

 

その壁を越えるために何をしてきたのか、どうすればぶつからずに済むのかをすべて解説したオリジナル教材があります。

 

専門学校だけの話にとどまらず、その後通った養成所で学んだノウハウも出し惜しみなくすべてまとめて公開しています。

 

つまり、僕が約480万円かけて2校で学んできた作詞作曲のすべてを手にしていただけるということです。

 

価格は現状4,980円ですが、コンテンツの価値を保つため、売れ行き次第で随時価格を値上げしようと思っています。

 

というのも実は、過去に3万円で販売していたことがあるからです。

 

しかし、あまりにも高すぎると手に取ってもらえる人が減ってしまい、本来の僕の目的から外れてしまいます。

 

なので現状は、4,980円という金額で手に取っていただけるようにしています。

 

とはいえ、いつ値上げするかも決めていないですし、現状が1番安く手に入るので、少しでも気になる方はお早めに手に取っていただくことをお勧めします。

 

 

今でこそ僕も音楽を再び楽しむことができるようになりましたが、プレーヤーとしての成功を追い求めるには、あまりにも長い年月をかけすぎてしまいました。

 

だけど少しでも、僕が音楽に費やしてきた時間お金が意味のあるものになるように、ここまで読んでくれたあなたにこそ、僕からのバトンを受け取っていただきたいのです。

 

おそらくここまで読んでくれている人は、この記事を見つけた人の3%にも満たないと思います。

 

それでもここまで読んでくれているあなたは、きっと音楽に対する情熱熱意がある人だと思うからです。

 

最後に僕がヤマハのソングコンテストで銀賞を受賞した時の実際の映像を置いておきます。

 

 

もしかしたら、『大したことないじゃん』と思われるかもしれません。

 

でもそう思ったとしたら、大したことないこのクオリティで受賞できるレベルに達しているということにも気づいていただけると思います。

 

まずは、この映像の僕の到達点を目標に一緒に頑張っていきましょう。